仁徳天皇を主神と仰ぐ神社、大阪高津宮でヨガリトリートを行いました。
高津宮は大阪のビルが立ち並ぶ一画にあり、桜の木が立ち並ぶ隣接する公園から入ると、異空間に入ったような感覚になり、体の力がふっと抜けます。
この日はセミの泣き声で話し声も聞きづらいほどでしたが、ヨガと瞑想をするのにはとても心地よかったです。
巷にヨガのクラスは沢山ありますが、多くの人にとってそれはエクササイズ的な認識になっており、ヨガとは本来どのようなものか学べるところは数少ないような気がします。
今回はヨガについて講義した内容を少しシェアしたいと思います。
ヨガの目的
ヨガという言葉の意味は「結ぶ、つなぐ」
そしてヨガの実践の全てに共通する目的は、梵我一如
梵我一如とは、経典(ウパニシャッド)の中でいう梵(ブラフマン)と人間(アートマン)について理解し、その両者が究極的に同一であると認識することです。
その真理を知覚することによって、輪廻の業、すなわち一切の苦から解放され、解脱にいたることができると考えられています。
実在するもの、真理とは不変不動のものを指します。
この世のものは無常です。
つまり幻(マーヤ)ですべて見せかけのものです。
存在するのは真我のみです。
真我とは無限、不変、不定形の未分化エネルギーです。
それがどのように分化して物質的な世界に至ったかについては経典により様々に説明されています。
ヨガの経典の中で有名なものは
・ウパニシャッド
・バガヴァッドギーター
・パタンジャリのヨーガスートラ
・ハタヨーガプラディーピカー
などがあります
日本語訳の本もありますのでぜひ一読してみてください。
実在する不変のものとの結合により、分離されているという感覚から解放され、時空間、因果といった幻想から自由になります。
私たちは、自分の本質に気づくことができないと、分離した自分を本物だと思い込んでしまいます。
この「無知」から真実へ至るためにヨガの道があります。
ヨガの4つの道
ヨガには4種類の道があります。どの道も最終的にはブラフマン(神)との合一という目標で、解脱するためにはこの4つの教えを身に付ける必要があるといわれています。
カルマヨーガ(行為、行動)
無償の奉仕、自我を手放す、結果を気にせず自分のエゴをなくしていく
パクティヨーガ(帰依、献身者)
神に仕え続け、神を信じ、祈りと崇拝と儀式で自らを神に捧げる
ジニャーナヨーガ(知識、智慧)
経典等で学んだ知識を得て神とつながる。自分とは何か?真実とは何か?を問う
ラージャヨーガ(心と体のコントロール、瞑想)
自分自身の心を見つめていく方法。瞑想。日常での訓練法。心と体を清めながら悟りに導く方法
アサナ(ヨガのポーズ)はラージャヨーガの中に入り、ヨガの中のほんの一部にしかすぎません
心の作用を止滅することが、ヨーガである(ヨーガ・スートラ1−2)
これが目指すところです
また、何世紀も前に書かれたヨーガスートラにこんな一節があり、本来の自分は自由な存在として生きていけることを思い出させてくれます。
外界のすべてが、あなたの思考(想念)と心理的態度に基づいている。世界はすべて、あなた自身の投影物だ。あなたの評価はまたたく間に変わる。昨日は「恋人」だった人が、今日は「見るのも嫌」かもしれない。このことを忘れずにいるならば、あなたは外的な事象にそれほど重きを置かなくなるだろう。ヨーガが外界の変革についてあまりこだわらないのはそのためだ。サンスクリットの箴言に「人は心なり。束縛あるいは解脱は汝自身の心中にあり」というのがある。もしあなたが束縛されていると感じるならば、あなたは束縛されている。もし解放されていると感じるならば、あなたは解放されている。外界の事物は、あなたを束縛しもしないし解放しもしない。それは、あなたがそれらに向ける態度一つにかかっている
パタンジャリのヨーガスートラより
自分に制限をかけているのは自分だけです。