勉強会の中で、ふと放った一言に話が膨らみました
「この現実世界は夢のようなもの」
どうしてそう言い切れるのか?というご質問をいただき、その率直さがとても嬉しかったです。
私自身も長い間そのことが理解できなかった経緯があります。
この話をする時、この世界は全く存在しないという意味ではありません。
ブッダの有名な蛇とロープの話を知っている人も多いでしょう。
ロープを間違えて蛇だと思ってしまうと、蛇にしか見えなくて恐怖を抱きます。
それがロープだとわかった瞬間、蛇はただの幻想だということがわかります。
蛇は幻想で、実在していませんでした。
現実はロープでしたが、その時、ロープは見えていませんでした。
本当の姿を認識せず、間違った観念をそれに重ね合わせていたのです。
この世界が夢のようなもの、というのはこれと同じようなものです。
世界は自分とは違うものという、分離の世界があるという幻想
自分が見られる対象(客体)として存在しているという幻想
その観念を重ね合わせていると、世界は蛇と同じく、そこにあるように見えます。
けれどそれは心(マインド)の働きで実在はしない、のです。
心(マインド)とは思考や知覚です。
この世界は、知覚されることのみにだという考えに基づいていると、
この身体、皮膚を境に内側が自分でそれ以外は別のもの
そのような結論に絶対的な権威を与え、自分の経験を認識していきます。
そしてこの誤った認識がすべての苦しみの根源です。
思考や知覚は存在しますし、この現実を経験していることも確かです。
それを否定しているわけではありません。
けれどもそれが全てではなく、それは真の自己ではないのです。
この場合のロープは、蛇が現れる前も、現れている間も、ずっど実在していました。
心(マインド)の働きの背後には気づきという唯一の実在があります。
心(マインド)が現れ、働いている間は、背後にある気づき(主体、見るものという意識)という本来の性質に気づくことは難しいかもしれません。
心の条件付けではなく、その気づきこそが自分の本質であり、すでにいつもそこにあるということを理解し、それが生き方、行動に現れてくると別の次元に移行したことを感じられます。
日常生活でわき起こる不安は弱まっていき、今までどれだけ恐怖から逃げるために、また分離した個人としての私を守るために自分のエネルギーを使っていたきたかに気づきます。
そしてそこでは自分がどのようにしたらいいのかということや、関係や状況に対して不満や怒りという問題もなくなっていき、今ここで存在を感じることの至福を味わうことができるようになっていきます。