去年に続き、高津宮で「マインドフルネスヨガ&瞑想」を開催しました。
猛暑とコロナ禍の中ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。
今回も質疑応答の時間にたくさんの質問がありましたが、その中で印象的だったのは「この瞑想をやるとどんないいことがあるのですか?この世的にこんないいことがあったという経験があったら教えてください」というものです。
マインドフルネス瞑想を何時間かやったら
・収入アップ
・理想のパートナーと出会える
・条件のいい仕事が見つかる
といったことが起こることはありません。とお答えしました。
気づきの瞑想は自己啓発や願望実現とは違います。
習慣にしていくうちに願っていた事が叶っていることはあるかもしれませんが、その時は願望自体は執着するべきことではないということが理解できるでしょう
この世的な願望が叶うかどうかはわかりませんが、人生は劇的に変わります。
目に見える領域でないもの、例えば
・集中力が上がる
・判断力が上がる
・自信がつく
こういうものは確かに得られると思います。
しかし、これらはあくまでただの結果であって、最初からそのような目的意識を掲げてこれまでの目的達成のための何かと同じよう取り組むなら、逆に効果は感じにくいかもしれません。
いずれにせよ経験すべきことはやってくるし、しなくてもいいものはいくら自我の領域で望んでもやってこないことが理解できるので執着することがなくなっていきます。
私がお伝えしている「気づきの瞑想」は、思考の領域を超えたものです。
これまでの思考とのかかわり方を変えていくことになるのです。
それは思考の領域でやろうと思ってもできることではなく、物質的なことを精神的なことに置き換えただけのものではありません。
私たちが受けてきた教育、また社会に出てから求められるものは常に結果でした。
その結果が入ったら幸せになれると思って(教えられて)きましたし、実際にその瞬間は幸せを感じてきたかもしれません。
そうして手にした幸せは一時的で、またすぐに不幸感や欠如感がやってきて何か別な目的を定め、決して満たされることはなく、何かおかしいと思いながら生きているのです。
世の中見渡すとはっきりとおかしいと思っていない方が多いように感じるかもしれませんが、そういう人は瞑想には興味をもたないでしょう笑
でもそれはそれで人それぞれ生き方があるのでいいのです。
そういう意味で「苦しみ」というのは人生の教師なのだとつくづく思います。
私がお伝えしている「気づきの瞑想」で何が劇的に変わるのか?というと、思考とのかかわり方です。
思考は決して悪い物ではありません。人間に与えられたすばらしい能力の一つです。
何かを計画したり、計算したり、想像したりすることを可能にしてくれます。
しかし起こっている出来事や、物事それ自体と、それについての思考を区別せず混同してしまうと問題が発生します。
要するに、判断、解釈は事実ではないかもしれないのです。
それは無意識の領域で行われることが多く、特に自分が自分に下している価値判断は何が真実なのか、その区別が難しいものです。
気づきの瞑想を通して、「目的達成」モードから、「今ここのあるがままを観察する」モードに切り替えられれば、そこを明確に理解できるようになります。
自分の思考というものがいつどんな形で現れるのか明確に認識できるようになれば、それに振り回される必要がないことがわかり、ただ受け入れられるようになり、心の平安の感覚を得られるようになっていきます。