人間関係は人生において最も霊的に成長できるチャンスを与えてくれます。
しかし、自分と他人との関係について考える前に、まず自己の中で葛藤が起きているならそれに対してアプローチすることが何よりも先です。
しかし、多くの人が自分の内側を取り組む前に、外側、つまり相手の言動に反応し、判断し、一喜一憂しています。
そして相手が変われば自分がいい気分になれると信じているのです。
その状態は言い換えれば、自分の幸福を自分でない他人に明け渡している状態です。
そう思っていなければ誰かに対して不満や被害者意識というものは出てきません。
他人からどんなにひどいことを言われたり、されたりしたとしても、その現実的な出来事の内容というのはそれほど重要ではなく、それよりもその出来事によって自分の内側に何を抱えていたのか?という方が重要です。
なので、出来事について語り、被害者や加害者について訴えてるということは、まだ物語を信じているという証拠になり、内側にアプローチしていない証拠になります。
誰かがどんなにひどいことをしようが、もしそれで心がかき乱されたとしたら、自分の内面には手放すべき何かがあります。
「あなたが私にそれを言った、もしくはやった」と他者のせいにすることは、あまりにも無意識でやっていることなので、気づくことすら難しいかもしれません。
どんな時も意識的な気づきだけが、浄化につながります。
自分の中にある感情や観念を外に向ける必要も、抑圧する必要もありません。
ただ気づくだけで、変化していくものです。
瞑想に慣れてくると、目に見えなくても、音として聞こえなくても、自分の中の微妙な変化、さらには相手のことも敏感に感じられるようになります。
そして内面の変化に伴い、現実レベルのことも今までとは違った結果になっていることに驚くことでしょう。
自分の内側にある不要なものを浄化すればするほど、人間関係で怖れを抱くことはなくなりますので、親密な関係をつくることができ、それにより深い充実感や喜びに満ちた関係をつくることができます。
自分の内面にアプローチせず、不要なものを抱えたままでは誰かと親密になりたいと思っても、恐怖を感じ、自己防衛してしまうのです。
自分の内側の状態がととのったとき、ありのままの自分を分かち合えるパートナーが自然にあらわれるでしょう。
でも本当に探しているものは自分自身なんですけどね。
自分だけだとなかなか不要なものに気づけないものです。
人間関係の問題というのは、内側にアプローチし、気づき、不要なものを手放しなさいというサインです。