今回のテーマは10月に引き続き「感情」とどう向き合うかという内容でした。
その中で親の死の話から「孤独」について話す流れになりましたので、今回はその中の一部分をシェアしたいと思います。
誰もが一人で生まれて、一人で死んでいく
このことにどう向き合っていくのか?
孤独や分離は人間の基本的な特性です。
他者と分かち合おうとどんなに言葉で説明しても、また多くの時間と空間をいくら共にしていたとしても、この私がどんなことであるかは他者には絶対にわからないですし、逆もまたしかりです。
多くの人がこの孤独や分離を恐れ、そこから逃げるために膨大なエネルギーを使っています。
スピリチュアルを学ぶということは、この孤独や分離を受け入れ、一人でいることをすばらしいことだという認識に変化させていく作業とも言えると思います。
では、どうしたら孤独や分離を受け入れ、それこそが恩恵であると思うことができるのか?
勉強会でお話したことを文章で書くことは難しいですが、結論を言えば、他の感情との向き合い方と同じく、まずは自分の中にある孤独感を徹底的に経験することです。
それを自分に許すことで、変化していきます。
とはいえ、それが簡単にできないから苦しいわけですよね。
私たちが一般的に孤独を感じる時というのは、他者との真の繋がりが感じられない時ではないでしょうか。
よほど山奥に住んでいない限り、視覚的には周囲にたくさんの人が見えますし、家族と同居してたり、職場で働いていれば、誰かと接している時間の方が多いはずです。
それなのになぜ孤独を恐れ、分離感を自分の一部とし、そこから逃避しようとして混乱しているのか?
一言で言えば、
それは真の自己を受け入れていないから
また真の自己を開示せず、表現していないから
要するに、自分がありのままの自分を受け入れていないのと、自己防衛がその大きな要因の一つです。
これは無意識の領域でやっていることなので、なかなか自分でも気づくことができない部分があります。
しかし、瞑想を続けているとその部分に気づきが起こってきます。
最初は恐怖を感じますが、続けていくともっと気づきを深めたいと思うようになります。
さらに続けていくと、恐怖が楽しみに変わるのがわかってきます。
去年からこの活動を始めて、学びを深めてきたみなさんが変化しているのを見ています。
最初、瞑想に興味を持つ理由は、自分の中にある「苦しみ」をどうにかしたいというケースが多いと思います。それがなければわざわざ瞑想などしようと思う人は少ないでしょう。
しかし瞑想の方法を知ったとしても、瞑想を続けるのはしんどいことです。必要な人にしか続かないと思います。
そこを歩んでいく中で、変化が起こり、これまで避けようと思ってたものと向きあえる自分にいつのまにか、自然に変わっていくのです。
苦しみをどうにかしたいという思いから、本当の自分を知りたいに変化していき、真実を知るということに抵抗がなくなっていくのです。
いつもの瞑想会では時間の関係で初心者向きのお話しかできませんが、もう長く続けている方には違う場が必要であることも感じてきました。
霊的な自己理解を目指し、そのためには変わることを恐れず、何事も受け止めようと心の底から思った時に必要なプロセスは何か?
それはやはり行動です。
ありのままの自分を受け入れ、勇気をふるってそれを開示し、表明すること。
他者との純粋な触れ合いが、孤独感、分離感を減らすことに直結していることを身体で経験すること。
孤独を恐れて他者を欺き続ける必要はないことを体験すること。
自己のすべてを受け入れ、意識が統合されるとはどんな感覚なのか?を実際に体験していただきたいと思い、沖縄のリトリートを行うことにしました。
今回は瞑想の時間も設けますが、グループセッションが中心となります。他者との関わりの中で一人では気づけない自分に気づく機会です。