今回の勉強会のテーマは「現実世界の捉え方」というテーマでした。
その内容の一部をシェアしたいと思います。
今回の話の中心となったのは「観念」というキーワード。
なぜなら、心の中にある観念がこの現実を創り出しているから。
その観念が本当の自分の声を覆い隠し、物事をありのままに見ることを妨げています。
しかし、観念は無意識の領域で動いているので、なかなか自分で気づくことが難しいのです。
他人からは見えても自分では見えない部分です。
そこに気づくために「瞑想」はとても優れたツールとなります。
瞑想でやっていることを日常で使えるようになってくれば、自分の中にある観念に気づき、それを手放していくという選択肢が与えられます。
何よりも「気づき」がなければ先に進めないのです。
その観念によって自動操縦で動かされて人生を生きています。
そして、気づきの後は「手放し」という段階に入ります。
そこでは行動に移す勇気が必要になってきます。
本当の自分はやりたいけど、エゴの部分が恐くてできないことがこれまでどれだけあったでしょうか?
その恐怖を手放して初めて、本当の自分が望む人生を送ることができます。
本当の自分が望む人生とは、ただ単に、素敵なパートナーと出会うことだったり、お金を楽に稼ぐことだけではありません。
それはおそらくエゴが言っていることでしょう。
それは決して悪い事ではありません。
楽しいことをすることは大いに賛成ですが、エゴがいいと思うものを追いかけて、嫌だと思うものを避け続けることをやっていてはいつまでたっても真の自由や満ち感を得ることはできません。
本当の自分が望むような必要な経験を自分にさせるためには、無意識で行っている「好き嫌い」に気づき、その反応に従わない自分を選択することです。
そんな話の中、次のような質問がありました。
「いろんな宗教で言われている戒律についてはどうお考えですか?」と。
それぞれの宗教により、様々な戒律がありますが、どんな宗教でも目指すところは「涅槃・悟り・天国・目覚め」といったものです。
目覚めが起こっても、生活そのものは何も変わらず、悲しみや喜びを感じ、怒ったり泣いたりしている人もいれば、いかにも穏やかな佇まいの人もいるでしょう。
お酒を飲んだりタバコを吸う人もいるでしょう。
目覚めた人は世俗的なことをするわけがないと思っていること自体が固定観念なのです。
戒律とは、それを守らなければならないというよりは、自然とそうなっていく
というものだと思います。
良い悪いという判断、それを超えていくという意識、どんな事でも今ここで起こっていることを平安な心をもって観察する意識が重要なのです。
そこに制限は何もありません。
誰かの教えを鵜呑みにするのではなく、頭で考えたことを信念とするのではなく、ましてや社会の枠に囚われることなく、自分の体験、感覚、ハートに響くものを表現していくことが大切です。
もちろん、私の話も含めてです。
自分が自分に作った枠を外していくために、現実の出来事が気づきをくれるサポートしてくれています。
現実世界の捉え方として、他人や状況に目を向けるのではなく、自分の内側に意識を向け続けることが意識を変えていくために重要です。
瞑想やヨガを行うことで、気づきを深めていくことが簡単になっていきます。
その楽しさを今回も皆さんと共有することができました。
次回のオンライン勉強会は9月22日(火)10時〜12時です。